歴史

1:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2015/12/23(水) 21:56:50.29 ID:CAP_USER.net
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▲権禹相(クォン・ウソン)命理学者。歴史小説家

百済の東城王の死で王位についた武寧王は蓋鹵王の息子で困支(昆支?)の養子である。462
年、倭地にある奈良百済に行く途中、各羅島で生まれ名前は隆だ。生後、ずっと奈良百済
で成長したので日本語でシマ(島)または、サマと呼んだ。そのため、斯麻王とも言う。こ
こで私たちは中国大陸と韓半島の他に倭地にもう一つの百済があったことが分かる。それ
が奈良百済だ。

奈良百済は近肖古王の時、建国されたが当時、近肖古王は大陸百済、韓半島百済、倭地の
奈良百済の三地域を統治した大帝国の皇帝だった。大陸と韓半島は距離が近いが、倭地は
大陸からの距離が遠く、当時は海上交通が発達していない時代で倭の奈良百済を自治的に
統治する王を置いたがこれを天皇と呼び総督の様なものだった。

サマは生まれるとすぐ生母とともに大陸百済に帰ったが、非常に政状不安で奈良百済にい
る困支のもとに再び送られた。このように百済王室が王子を自由に奈良百済に送ったり連
れてきたりしたことは、奈良百済が百済の支配する領土だったためだ。

百済は王子だけでなく、百済の文物を倭の奈良百済に伝えるために百済住民を大挙移住さ
せたが403年(応神14年)2月、百済の縫衣工女が奈良百済に渡り、これが日本列島で衣縫
の元祖だ。工女が一人で行ったのではなく大移住集団の一員として行ったのだ。

このように百済の大移住集団は日本列島全域120カ余りの県に散って暮らし百済の文物を
伝えた。当時、倭は衣服もない新天地の島で、このような先進文化を持った百済の大民族
集団が移住した事実は、百済が日本列島を開拓し、さらには日本列島全域を建設したこと
を立証するものだ。

文字もなく衣服もない原始生活をする原住民世界に文字と各種の技術や馬など高度な先進
文化を持った百済の大移住集団が日本列島に上陸したら、当然、この集団から統治者であ
る王や天皇が出なければならない。従って倭の奈良百済・応神天皇も百済住民大移住集団
から出た天皇であり、同時に奈良百済初の天皇だった。

475年、高句麗の攻撃で百済の都城が崩れ蓋鹵王が捕えられて死ぬ時、蓋鹵王の王子たちは
みな死んだが、サマ(島)は倭の奈良百済にいたので死を免れ王位に上がることができた。
(中略:百済の歴史)

倭地の奈良百済は周囲の小王国と戦って領土を拡張しながら日本国建設の土台を整えてい
った。この時、奈良百済の領土は四国島と向き合う本州の凸のように出っ張った奈良県が
中心だった。

ソース:亀尾日報(韓国語) 権禹相コラム‐日本衣縫援助は百済人
http://www.gmilbo.net/news/article.html?no=33862
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201512210012


1:荒波φ ★@\(^o^)/:2015/12/20(日) 14:34:40.21 ID:CAP_USER.net
大韓民国の出生証明書の再発行でもしなければならないようなありさまだ。
教科書国定化をめぐる賛否の火の手が、最近では韓国の建国日をめぐる論争へ飛び火している。

要するに「1919年建国論」と「1948年建国論」の対立だ。

「19年建国論」は「わが大韓民国は三・一運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継承し」という韓国憲法の前文に依拠している。
韓国が臨時政府の法統を受け継ぐと明示していることから、1919年に生まれたと見なすのが正しいという主張だ、

これに対し「48年建国論」は、政府樹立記念日の1948年8月15日に韓国が誕生したと考える。

双方はそれぞれ、強みと弱みを持っている。

韓国現代史を断絶ではなく継承の観点から見ることができる点こそが「19年建国論」の魅力だ。
植民地化という「挑戦」に対し、臨時政府樹立という「応戦」で堂々と韓国史を説明できる。

ところがこの強みは、同時に弱みでもある。

「19年建国論」は「政治学のいろは」とズレている。現代の政治学は、国家とは領土・国民・主権の3要素を持つものであって、
3要素の一つが欠けただけでも国家とは見なし難い、と教えている。

韓国が1919年に建国されたと見る場合、徴用や慰安婦問題といった植民地時代の苦難をどう説明するか、はっきりしない。
「韓国の誕生」という事実判断と「臨時政府の法統継承」という価値判断を混同している、という批判も免れ難い。

金九(キム・グ)主席の臨時政府も、1941年の「建国綱領」で
「敵の統治機構を国内から完全に撲滅し、中央政府と議会の正式な活動で主権を行使する過程」を「建国の第1期」と規定した。

建国を今後の課題として設定したのだ。こうした事実を見過ごすと、歴史がファンタジーの領域に退行する危険がある。

従って「韓国の誕生日は1948年8月15日」と見る方が自然だ。ところが「48年建国論」は、ここから一歩踏み出している。

「1948年8月15日は韓国の建国節にもかかわらず、政府樹立記念日に格下げされている」と主張しているのだ。

しかし「48年建国論」を強調し過ぎると、李承晩(イ・スンマン)初代大統領が1948年8月15日に行った記念の演説と衝突するのが問題だ。

「政府樹立大統領記念辞」というタイトルのこの演説は「大韓民国30年8月15日 大統領李承晩」という文言で終わる。

「大韓民国は1919年に樹立された臨時政府の法統を継承する」と宣言した人物は、ほかならぬ李承晩大統領だ。
李大統領はこの記念の辞で、建国と政府樹立を、対比させるより、むしろ自然に併用している。

二つの建国論がどちらも弱みを持っているのは、事後的な解釈だからだ。

にもかかわらず、自分の弱みからは目を背け、他人の弱みばかり暴こうと言い争いを続けると
「兄弟の目にある塵(ちり)を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認めぬ」(マタイ7章3節)ことになりやすい。

再評価は歴史家の領分だが、だからといって自分の希望する事項まで史実に混ぜる権利は歴史家にもない。


2015/12/20 05:04
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/19/2015121900428.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/19/2015121900428_2.html
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201512130011


1:ねこ名無し ★@\(^o^)/:2015/12/12(土) 00:28:59.42 ID:CAP_USER.net
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は11日、2017年の記憶遺産登録を目指し、
日中戦争の発端となった盧溝橋事件直後に200人以上の日本人が中国側に殺害された「通州事件」の資料をユネスコに申請すると発表した。

 通州事件は1937年7月29日、北京東方の通州で日本人が中国人部隊に襲われた事件。申請する資料は、東京裁判に提出された証言や外務省の抗議声明などの公的文書のほか、当時の新聞の号外なども予定している。
同会は「通州事件が忘れられている現状を意識的に変えなければならない。広く世界に知ってほしい」と訴えている。

 記憶遺産の登録審査は2年に1度行われ、申請できるのは1国2件まで。ユネスコの国内委員会はすでに2017年の登録候補2件を公募の上で選定しており、それぞれ申請者である自治体などが来年3月に申請書類を提出する。
それ以外の民間団体や個人も制度上はユネスコの国内委員会を通さずに申請が可能なため、同会はユネスコに直接申請する。
文科省によると、つくる会の申請などで日本からの申請が3件以上となった場合、ユネスコから国内委員会に優先順位を付けるよう差し戻される。

http://www.sankei.com/life/news/151211/lif1512110039-n1.html

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201511030012


1:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2015/11/02(月) 20:36:07.34 ID:???.net
強固な日韓関係こそ東アジア、世界平和の要(談話)

  ・日韓中で協力して東アジアに平和を

 日中韓首脳会談が11月1日、3年半ぶりに行われたのに続き、日韓首脳会談が2日、両国で現政権に交代してから初めて
開催されました。21世紀の東アジア地域が政治、経済、安全保障と、あらゆる面で非常に不安定な要因を抱えている中、
日中韓の連携協力は自明の理です。それにもかかわらず、今日まで日韓首脳会談を開けなかったというのは政治的に不正常であり、
両国民の利益に反するものでありました。

 今後の東アジアにおいて、中国問題は、世界が直面する最大の懸案事項です。特に隣国である韓国、日本はもちろん、
国際社会に大きな影響が出ることは間違いありません。そのためにも、中国の政治・経済状況にきちんと目を向け、日韓が連携して
中国社会を何とかソフトランディングさせることが必要だと思います。そして、中国を民主化の方向に持っていくことが実現できれば、
東アジアだけでなくて、国際社会も平和に共存していくことができるはずです。

 そのためにも、民主主義と自由経済という基本的な価値を共有する日韓両国が、東アジア地の中核となり、あるゆる面で
交流を深め、協力を進めていくべきです。強固な日韓関係を築き上げた上で、民主化された中国が加わり、日韓中が完全な
協力態勢をつくることができたなら、今まで3ヵ国が人類史で築いてきた以上の大きな歴史的役割を果たすことができる、と私は確信しています。

  ・日韓二千年の歴史の積み重ねは隣人としての貴重な財産

 日韓関係を考える場合、両国間の二千年におよぶ友好協力の歴史を踏まえ改善のあり方を構築していくべきです。特に今年は、
韓国と日本が国交を正常化して半世紀になります。国交正常化当時、両国間の人的往来は年間1万人ほどでしたが、今や年間
500万人へと飛躍的に増えています。このような両国関係の背景には、両国間に二千年以上の人や文化の交流の積み重ねが
あったことを忘れてはなりません。

 古代王朝時代には、日本と朝鮮半島との間では通訳なしに会話ができたと言われています。言葉すらほとんど一緒だったわけです。
また、日本の大和朝廷から新羅や百済の役職に就いた人もいますし、逆に朝鮮半島から来た人が大和朝廷で重要な役割を
果たすこともよくありました。つまり両国は渾然一体の関係であったと言えます。そして時代が下り江戸時代には、徳川幕府による
鎖国政策がとられていたにもかかわらず、唯一の外交使節として朝鮮通信使は12回も来日しています。

 このように、韓国と日本は本来、民族的、文化的、政治的、経済的にも、あらゆる面で最も身近な隣人として交流していたのです。
ところが現在の日韓関係は、今日まで首脳会談を開けないほど不正常な状態が続いてきました。これを正すためには、日韓両国が
お互いに傲慢さや偏見を捨て、謙虚に誠意をもって友好協力関係の発展に努めるべきだと思います。

  ・大きな視点に立って、日韓関係の改善を

 ナチスドイツに占領されていたフランスも、現在はドイツと非常に仲良くしています。かつて覇権争いをしてきたイギリスとフランスも、
今では英仏海峡トンネルを掘ってユーロスターで繋がっています。こうした仏独や英仏の関係に倣い、21世紀の日本も大きな
視点に立って日韓関係を考えれば、必ず良い方向に向かっていくはずです。

 そのためにも日本は、歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すという姿勢を示すことが、真の信頼関係を
構築する上で重要です。その一方で、韓国においても過去の事実にとらわれて、反日的な教育・宣伝をすることを止めなければなりません。
そのような中から両国は困難な問題を乗り越え、もっと力を合わせていくのが自然な姿であり、日本人も韓国人の大部分もそれを
望んでいるのではないでしょうか。

 1990年に訪日した盧泰愚(のてう)大統領が国会で演説した際、「来る世紀には東京を出発した日本の青年が海底トンネルを
通過して、ソウルの親友と一緒に北京、モスクワ、パリ、ロンドンへと大陸を結び世界をひとつに繋ぐ友情旅行を楽しむ時代を
共に創造しましょう」と訴えました。私はこれに大変な感銘を受けました。今こそ、民族的、文化的、言語的にも最も近い隣国である
韓国と日本は、このような夢を実現するためにお互いに力を尽くすべき時だと確信しております。

 生活の党と山本太郎となかまたち 代表 小沢一郎

生活の党と山本太郎となかまたち 11月2日
http://www.seikatsu1.jp/activity/declaration/20151102.html
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1:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2015/07/02(木) 20:33:49.98 ID:???.net
(画像:西安の大雁塔)



2015年6月30日、中国メディア・捜孤は、「国境のない大唐、日本はかつて中国に属していた」とのタイトルで、
歴史学者・許倬雲(シュー・ジュオユン)氏の著書「説中国」の解説を掲載した。以下はその概要。

唐の太宗は即位後、それまでの王朝を脅かしてきた突厥(とっけつ)の討伐を実施。恐れをなした北方遊牧民族の
族長たちは太宗に天可汗の称号を奉上する。唐は周辺の異民族・諸国家に対し、羈縻(きび)政策を行っており、
唐に友好的な国王・首長を都督や刺吏などに任命することで、その国や地域を唐の支配下に置いた。
そのなかには日本や高麗も含まれている。日本は唐の直接統治下にはなかったが、それは唐が日本に対して
寛容な姿勢をとっていたからで、倭国国王は唐の大都督の官称を与えられていた。こうして唐の領土は広がり続け、
西はアフガニスタン、北はモンゴル、南はベトナム、東は海の向こうまでという広大な領土を手中に収めた。

この解説を読んだ中国のネットユーザーの反応は以下の通り。

「今さらそんなこと言ってどうするの?」
「だったら日本はなぜ今も存在してるんだよ」

「ばかばかしい」
「はいはい。で、今はどうなの?」

「ということは、日本は中国の仲間だったんだね。いい加減に仲良くしたら?」
「で、その素晴らしい唐文化を色濃く残しているのが日本」
「日本がいつ中国の支配下にあったよ?中国はもっと謙虚にならなきゃ」

(翻訳・編集/本郷)

レコードチャイナ 2015年7月2日(木) 12時33分
http://www.recordchina.co.jp/a112885.html
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