生活保護

201601090013


1:動物園φ ★@\(^o^)/:2016/01/09(土) 02:27:09.17 ID:CAP_USER.net
ヘイトスピーチという病理どう立ち向かうか…朴 一(大阪市立大大学院教授)

ヘイトスピーチの攻撃対象が在日コリアンに限定されてきたもう一つの理由は、在日コリアンだけが「在日特権」を享受してきたというものである。
在特会は、あたかも在日コリアンに「特権」があるかのように主張するが、実際はどうなのか。

まず在特会はホームページ上に「在日(コリアン)が日本に寄生することを認めている」と書き、
そうした行為を認めている「特別永住資格」こそが「在日特権」であると主張している。

彼らが問題にしているのは、一般の永住資格をもつ在日外国人と違って、歴史的経緯をもって日本に滞在してきた在日コリアンだけが、
入国審査時に顔写真の撮影や指紋採取の必要なく、証明書の携帯も求められていないという、特別な扱いを受けているという点である。

だが、こうした在日コリアンの処遇は、1965年の日韓条約における在日コリアンの法的地位協定に関する協議を経て、
1991年に「(在日コリアンの)歴史的な経緯と日本での定着性を踏まえた配慮」として日韓で取り決められたもので、根拠のない「特別な扱い」ではない。
日本に定住している在日コリアン2世から5世までの多くが、日本の植民地支配の影響を受け、
戦時中の労務動員を含め日本に移動することを余儀なくされた人々の子孫であるという歴史的経緯を踏まえ、
実施されたアファマーティブ・アクション的性格をもつ措置である。

また在特会は、生活保護についても在日コリアンへの給付率が「異常なほど高い」とし、在日コリアンが優遇されていると主張している。
確かに50年以上前は在日コリアンの生活保護受給率が高かった。韓国戦争休戦直後の1954年には、日本人の生活保護受給率2%に対し、
在日コリアンは23%と突出していた。これは、朝鮮戦争による難民の発生と54年に出された行政通達の影響と考えられる。

現在はどうか。ネットでは「日本人の生活保護受給率0・9%に対し、在日コリアンは22・7%」(「在日の就業と生活保護の統計を見る過去ログ保存ページ」2001年)
という怪情報が流されているが、これは事実ではない。生活保護に関する在日コリアンの受給データはないが、在日外国人の受給者数はわかる。

例えば2003年の在日外国人の受給者数3万5038人のうち、在日コリアンの受給者数の構成比が8割
(浅川晃広「戦後『在日神話』としての国籍剥奪という嘘」『正論』2005年8月号)という「在日特権」派の研究者の指摘を認めたとしても、
在日コリアンの受給者数は2万1110人となり、この数字を当時の在日コリアンの全体数(62万5422人)で割ると、
在日コリアンの生活保護受給率は4・4%にしかならない。
この数字をみれば、在日コリアンへの給付率が「異常なほど高い」とはいえず、
在日コリアンが特恵的に生活保護を受けているとはいえないことがわかる(宮島理「生活保護と在日」『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』宝島社、2006年)。

かつて永住外国人への地方参政権付与に賛成だった政党は、その声をあげず、一部の政党とはいえ、
在日コリアンへの特別永住制度の見直しを党のマニュフェストに掲げる政党が出現する中、
少数とはいえ一部の排外主義グループが主張してきた声が日本の政治に反映されていく過程は、排外主義が、下から上に広がっていることを示している。

在日コリアンの権益擁護・獲得を求める団体にとって、ヘイトスピーチを禁止する法案制定を求めることは重要であるが、
それ以上に大切なことは、「在日特権」という言葉に集約された在日コリアンへの誤解と偏見を取り除くために、
また特別永住権の見直しを阻止するためにも、在日コリアンの置かれた差別的な人権状況を一人でも多くの日本人および日本の政治家に、
正しく理解してもらう戦略的な情宣活動を展開していくことである。(2016.1.1 民団新聞)

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=21338
【【 続きを読む 】】

201512250013


1:シャチ ★:2015/12/24(木) 21:16:27.49 ID:CAP_USER*.net
朝日新聞デジタル 12月24日(木)16時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151224-00000042-asahi-soci
 
 外国人が人口の16%を占める群馬県大泉町で、生活保護を受給する外国人が2014年度末時点で171人(97世帯)となり、
町全体の受給者の3割を超えたことが町のまとめでわかった。日本語の習得が不十分で、
就労の機会が十分に得られていないことが生活困窮を招いていると町はみている。

 町福祉課によると、14年度末の生活保護受給者は町全体で527人(382世帯)。
このうち外国人は171人(97世帯)で全体の32・4%を占めた。4年前の10年度末は町全体で377人(262世帯)。
このうち外国人は104人(56世帯)で27・6%だった。ブラジル人が多いという。

 村山俊明町長は22日の記者会見で、外国人の生活保護受給者が年々増えている現状について
「日本語が分からない外国人が雇用の場を求めて来ても、解雇されやすい状況が目立っている」と述べ、
不安定な就労環境が要因との見方を示した。町はハローワークなどと協力しながら外国人の就労支援を進める方針だ。
【【 続きを読む 】】

img_1_m


1:◆sRJYpneS5Y:2015/07/21(火)12:29:13 ???
生活保護費を不正受給した疑いで、病院や診療所を運営する医療生協かわち野生活協同組合
(大阪府東大阪市)の支部長ら2人が逮捕された事件で、新たに別の男性支部幹部も
不正受給に関与していた疑いがあることが20日、分かった。大阪府警が任意で事情を聴いている。
支部長は、詐取した保護費について「組合(医療生協)の出資金や生活費、日本共産党の党費に使った」
と供述しており、生活保護と政治活動の関係が問われている。

 逮捕されたのは、同組合小阪支部長の小林輝子容疑者(58)=同市=と、小林容疑者の元夫で、
同支部元総代の末広長一容疑者(65)=同=。さらに小林容疑者とアルバイト先が一緒だった
別の支部幹部の男も、不正受給に関与していた疑いが浮上した。

 小林容疑者は、清掃作業アルバイトの収入を市に過少申告し、平成22年5月~24年1月分の
保護費計約65万円を不正に受け取ったとして今月1日、詐欺罪で起訴された。
その後、24年2月~25年3月の計約48万円分の不正受給容疑でも再逮捕された。

 関係者によると、小林容疑者は平成22年2月に生活保護を申請した際、共産市議を伴っており、
市の福祉事務所で「仕事が見つからなくて生活がしんどい」と訴えたという。
不正受給は22年5月~今年4月分の5年間で、総額約330万円になる見込み。

 府警はこのうち約240万円分について、詐欺容疑での立件の可否を検討しているという。

続き gooニュース/産経新聞
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1507210011.html

◆◆◆ニュー速+ 記事情報提供スレ 24◆◆◆
http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1436883013/483
【【 続きを読む 】】

RCUSPmOu6ukyosA


1: ◆c7UNierYy2 おなきっつぁんφ ★:2015/06/29(月) 18:34:25.20 ID:*.net
河本凖一 病気で死にかけ、絶飲絶食

朝日新聞デジタル 6月29日(月)10時44分配信

 これは5年前、35歳の時に膵炎(すいえん)で死にかけた直後の写真です。入院約3週間で16キロやせました。



 倒れた日は家でいきなり、足の指20本分の生爪を一気にはがしたような激痛が背中に襲ってきたんです。その日はテレビ番組の収録が2本あり、
脂汗をかきながら出かけました。何とか収録を終わらせた後に救急病院に行きまして。痛み止めの点滴中に意識を失い、
丸二日、意識が戻らず。その間、家族はこのまま亡くなるかもしれないと医師に言われていたそうです。

 目覚めると体にまったく力が入らず動けなくて。膵臓(すいぞう)がひどい炎症を起こしていたので、そこからしばらく絶飲絶食。
最低限のカロリーを点滴で入れるだけで、口の渇きは水を含ませたティッシュで拭くだけ。それでもその時はまったくつらさはなくて、
「生きていて良かった」との思いだけで、仕事への焦りを感じる余裕もなかったです。ただ自分の記憶の狂いが怖くて、
名前、年齢、血液型などを何度も確認していました。

 徐々に胃袋が動くようになると、空腹でさまざまな食べ物の映像が浮かぶんです。一番食べたかったのがから揚げ。
せめて匂いだけでも感じたくて、後輩に「俺の病室でから揚げ弁当食ってくれ」とお願いしたら、オリエンタルラジオの藤森が
やってくれました。枕元に弁当を置いてもらった時の香りがたまらなかったですね。

 膵炎の原因は、暴飲暴食、お酒、睡眠不足、疲労、ストレスですが、僕はまんべんなく条件を満たしていました。
痛みも前からあったはずと医師に言われましたが、倒れる前は体を使う仕事が多く、筋肉痛がひどくてわからなかったようです。

 結局3週間の入院で自宅療養になり、なんと退院2日後に韓国に行く番組の仕事を入れられまして。倒れたことで多方面に
迷惑をかけましたが、特にこれは自分の単独番組で大迷惑になってましたので、その償いの気持ちから、何か番組の役に立てばと入
院後半は独学で韓国語や韓国について勉強しました。が、その予習のせいで、現場で僕の反応に新鮮味がなかったとスタッフからは大不評でした(笑)。

 病気以降、食べるものは限定され、グルメ系の仕事はできなくなり、ずいぶん仕事は減りました。でも、あの時期に倒れてよかった。
あの年齢で死と隣り合わせの経験をしたからこそ、子供を残して今は死ねないと生活も改善することができました。
正直、結構つらかった時期ですが、家族、友人、先輩、後輩などの支えで乗り越えられ、自分のメンタルも強くなったと思います。

 今40歳。まだまだ体が動くので、50歳までの10年は、精いっぱいがんばって、いろいろな「初」の挑戦をしてみたいですね。

    ◇

こうもと・じゅんいち お笑い芸人・俳優。1995年にお笑いコンビ「次長課長」としてデビューし、
多くの番組やライブで活動。ユニットコントライブ「CONTS」では自身が座長を務め、作・演出を行う。

(聞き手:田中亜紀子)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150629-00010000-asahit-ent&pos=2
【【 続きを読む 】】

このページのトップヘ